2008年

ーーー4/1ーーー 弱い者に譲る

 テレビで映画「タイタニック」を見た。以前ビデオに録画したことはあったが、後半を納めたテープは具合が悪く、音声だけで画面が見えない代物だった。それで今回、久しぶりにあの凄い沈没シーンを見ることになった。

 救命ボートを降ろして乗客が乗り込むシーン。「女性と子供が先です」とクルーが叫ぶ。こういう非常時、緊急避難の状況では、女子供が優先されるのが一般的なようだ。それを見ながら、あることを思い出した。

 昔勤めていた会社での出来事である。と言っても、私が実際に体験したことではなく、又聞きの話であるから、多少は真実から外れている部分もあるかも知れない。その点はご容赦願いたい。

 ある海外向けプロジェクトのメンバー数名が、仕事を終えて帰国の途上にあった。確かモスクワ空港だったと思うが、天候不良のために、足止めを食うことになった。空港内でアナウンスがあり、乗客は一晩空港で過ごしてもらう事態になったとの知らせがあった。そして、空港のそばのホテルにも若干の収容はできるが、人数に限りがあるので、女性と子供を優先させて欲しいとの説明があった。

 会社の一行のうち、一番上の立場であった某役員は、早速部下に指示をして、「自分たちのグループは頑健な男性だけだから、空港のロビーで泊まることに何ら問題はない。ホテルは他の人に回してくれ」とのメッセージを航空会社のカウンターに告げた。

 しばらくして、機長がやってきた。そして、「心暖かい申し出に深く感謝する」との謝辞を述べた。加えて、毛布など必要なものは何でも提供するから申し出て欲しいと言った。それに対してくだんの役員は、「ロビーでの退屈な夜をまぎらすために、いささかの酒類を頂けたら有り難い」と告げた。機長は「そんなことは、お易い御用です」と言って去った。その直後、様々な酒類を満載したワゴンが届けられたという。

 どちらの側も、たいへんスマートである。国の違いを乗り越えて、気持ちが通じ合うというのは、こういうことだと思う。

 海外における日本の企業人の行状には、眉をひそめたくなるようなものも多い。私自身、外国の公共の場で、日本人企業戦士らの傍若無人な立ち居振る舞いに接し、辟易した経験が何度もあった。

 上に述べたエピソードは、ひときわ爽やかなものとして印象に残っている。



ーーー4/8ーーー 棘を抜く

 職業柄、手に棘を刺すことが多い。体重80キロの体に対して、棘などミリグラム以下の小さなものだが、皮膚の中に入り込んだ棘のチクチクとした感触は、神経を苛立たせるのに十分な効果がある。

 大きな棘はまだましだ。大きな棘は末端が皮膚の表面に出ていることが多く、そこをつまんで引っこ抜くことができる。問題なのは、ちょっと目には見えないくらいの小さな棘が、皮膚の中に埋まっている場合である。

 そういう小さな棘は、刺さっていることに気付かないこともある。刺さる瞬間は、たぶんチクッとした感覚があるのだろうが、それが棘の侵入によるものなのか、それとも微小な尖端が触れただけなのか、忙しく作業をしているときには分からない。

 小さい棘は、皮膚に入って先端が折れ、表面に何も残らないことが多い。それでも、その辺りの皮膚をなでると、かすかにチクチクとした感触を覚えることもある。反対に、触れてもまったく感触が無いものもある。いずれにしろ、それくらい小さいものだと、目視で判別することは、特に老眼が進んだ目では難しい。

 そんな小さい棘でも、半日も放っておくと、かすかに赤く腫れて、疼いてくる。それで侵入者の存在が確信される。
 
 疼いた辺りをルーペで見ると、皮膚の下にかろうじて見える小さな物体がある。これも、棘の侵入角度によっては、発見が難しい。垂直に近い角度で入っている場合は、棘の断面しか見えないことになり、見つけるのは極端に難しくなる。指紋の皺の一本の巾よりも小さな点である。それでも痛みの源になるのだから、憎らしい。

 棘を確認したら、取り出す作業にかかる。裁縫の針を使うのである。使う前に、コンロの炎であぶって、先端が赤くなるまで熱する。これは私がまだ小さかった頃、母から教わった刺抜きの心得である。消毒をするということらしい。実際に意味があるのか無いのかは、分からない。

 ルーペを覗きながら、針を患部に持って行く。肉眼では十分に尖って見える針の先端が、ルーペの視野の中では、丸くだれている。こんなもので皮膚を切開できるのかと不安になるが、仕方ない。

 ところで、ルーペを覗きながらというのが、なかなか厄介である。時計職人のように、目の縁に挟んでみるものの、数秒で外れて落ちてしまう。家族がいるときは、手助けを頼む。ルーペが目から外れないように、押さえてもらうのである。なんとも奇妙な光景だろうと思う。それなら家族に棘抜きの作業を頼めば良いと考えるかも知れないが、不慣れな者にこの痛い治療をまかせる気にはなれない。

 針で棘を抜く。何故そのようなことができるのか、理屈から言えば不思議である。棘は微小な針である。針で針を抜くというのは、どういう原理によるものか。針の先端で皮膚を切開して、肉に突き刺さった棘をほじくり出すのだが、どうしてそのようなことが可能なのか、いまだに良く分からない。それでも過去の事例では全て成功している。人体には、侵入した異物を排除しようとする生体反応があり、それが針の先端に神秘の力を与えるのではあるまいか。

 左手に刺さった棘ならまだ良い。利き腕の右手に刺さった場合は、往生する。不器用な左手での棘抜き作業は、過酷である。最終的に、自分ではどうしようも無いことが判明した場合は、家族に頼む。手際の悪い者に、針でグリグリと刺されるのは、これまた拷問のような辛さがある。



ーーー4/15ーーー 背板を作る

 右の画像は、バンドソーを使って、アームチェア06の背板を木取っているところである。

 この椅子の背板は、高さがおよそ8センチあるのだが、従来は三枚の板を重ねて作っていた。それを、これからは一枚の板で作ろうと考えている。その試みの第一歩がこの作業である。画像の中で切っている材は、厚さ9センチ。

 三枚重ねでも特に問題は無かったのだが、一枚で作った方が、加工の手間が少なくて済む。また見た目の評価もある。私自身は、三枚重ねで木柄の変化を付けることを面白いと感じるが、一般的には一枚板を使った方が、木の存在感があるということで好まれ、また値段も取れる。

 さて、一枚板で作るといっても、それは簡単なストーリーでは無い。

 まず、9センチ近い厚みの板で、直ぐに使える状態のもの、つまり十分に乾燥しているものなど、簡単には手に入らない。また、例え品物があったとしても、そういうものはだいたいテーブルの甲板などに使えるような大板だから、価格が極端に高い。椅子の背板のように小さな部材を作るのに、高価な大板を切り崩して使うのでは、経済的に合わない。

 従って、丸太の状態で材木を買って、この厚みで挽いてもらうしかない。その工程自体は普通のことだが、出来上がった板を乾燥させるのが大変だ。厚みが9センチであれば、中までしっかりと乾燥するには、5年くらいかかるだろう。そんな先のことのために、しかも商売としては旨味に乏しい用途のために、材木を確保して寝かしておくというのは、よほど意思が強くなければ出来ない事である。

 そこで一つの試みとして、製材をした直後の板、つまり生材の状態の板から木取りをすることにした。そのように部材の大きさで切り取れば、分厚いままの状態よりは、はるかに短い時間で乾燥するだろう。自然の乾燥にまかせていても、三分の一以下の時間で乾くと思われる。また、作業上のメリットもある。厚さが9センチもある板をバンドソーで切るというのは、遅々として進まない作業なのだが、乾燥材よりは生材の方がずっと切り易い。生材は軟らかいからだ。

 乾燥している間に縮んだり、変形したりする事が想定されるので、木取りは少し余裕を見て行なう必要がある。たまたまこの椅子の背板は、後の工程の都合で大きめのサイズで木取ることになっている。その点からも、この方法は合理的であるように思う。

 こうして木取りをした部材が、二枚目の画像である。厚さが9センチもある板は、特に生のものは重いので、ここまでの工程でも一仕事といった感じである。

 出来上がった部材は、雨が当たらず、直射日光も当たらない、風通しの良い場所で乾燥させる(三枚目の画像)。このような形で乾燥させるのは初めてなので、ちょっと気を使う。一般的には、小さくした材は割れ難いと言える。小さい部材は水分が抜け易いので、材の中の水分の偏りがあまり大きくならないからである。しかし、今回は既に部品の形にしてあるので、たとえ小さな割れでも生じては困る。大きな板なら、割れた部分を避けて使うこともできるが、この形では、避けようが無い。

 そこで、念のため木口にラップやテープを張って、割れの可能性がなるべく小さくなるようにした。木口は水分の放出が大きく、部分的に乾いて縮むために、割れが生じ易い。それを防ぐには、木口に水分の移動を妨げる処置をするのが効果的である。

 後は毎日チェックをして、様子を見ようと思う。もし割れが出そうな気配が見えたら、もっと乾燥しにくい環境に移動する必要もあるだろう。

 このまま良い状態で推移して、含水率計で測定できる範囲くらいまで水分が下がったら、次は温室効果のある場所、例えば日中直射日光の当たる車の中などに移して、一気に乾燥を促進させようと考えている。目標は、今年中にこれらの部材を使えるようにすることである。

 ところで、このように木取った状態で乾燥させるというのは、以前見学をした木工所の仕事にヒントを得た。そこはお椀などをロクロ細工で作っている工房だったが、製品よりひと回り大きいサイズで木取りをしたブロックが、干し柿のように軒下に吊るされていた。そのようにしてある程度乾燥させたら、荒加工を行い、また乾燥させるとのこと。それを繰り返すことで、狂いの出ない製品に仕上がるとのことだった。
 


ーーー4/22ーーー Google Earth

 この度我が家の電話回線を「光」に換えた。インターネットの接続が、別世界のように速くなった。これまでISDNで我慢して来たので、一気に1000倍以上のスピードである。呼び込むのに15分かかっていたデータが、1秒で届く。配線工事のときに手に取って見た光ケーブルは、硬い弾力のある細い線だった。こんなもので、どうして膨大な量の情報を、瞬時に送ることができるのだろうかと思う。謎は深まるばかりである。

 昨今のインターネット事情は、高速化が前提となっているようで、重いサイトが多い。こうなると、遅い通信手段を使っている者は、明らかに不利である。サイトを開くまでの待ち時間は、バカにならない。全般的に重くなっているから、どこでも待たされる。その無駄時間を累計すれば、損失は重大であると思われる。古いものを大切に使う人は、どんどん取り残される。こんなことで良いのかと、暗澹たる気持ちにもなるが、この時代の流れには呑まれるしかないのだろうか。

 Google Earth というサイトがある。これを以前から見たかったのだが、カメのように遅いISDNでは、見る事ができなかった。光回線に換えたあかつきに、トライしてみたかったことの一つが、このサイトであった。

 これは、人工衛星から地球を写した静止画像を、地球上いたる所、自由に移動して見ることができるサイトである。しかも、画面を拡大して見る機能がある。地球丸ごとの画面から、家一軒の形が識別できるほどの拡大画面まで、滑らかなズームで接近することができる。これは全く奇抜な体験である。未だかつて無い、不思議な体験でもある。CGのような作り物ではなく、現実の地球表面の有様であるという点で、生々しい迫力に満ちている。

 地球全体の画像から一点へ降りて行くと、まるで地球に衝突する隕石になったような感覚になる。逆に、拡大した一点から、上空へ引いて行くと、ロケットに乗って宇宙へ飛び出すような感じになる。

 場所によって画像の鮮明さが違う。どうして違うのかは分からないが、例えば安曇野市周辺は画像が荒い。残念ながら自宅を確認することはできなかった。どうも郡部は荒いようである。それにひきかえ、大都会は、世界中何処でも、鮮明な画像である。極端に良く写っている場合は、道路に書かれた文字まで読める。
 
 初めてアクセスしたときは、とりあえず片っ端から名所をあさった。ピラミッド、エッフェル塔、タージマハール、自由の女神、WTC跡地、赤の広場、エアーズロック、紫禁城、等々。

 それから、思い出の場所へ。幼い頃通った小学校、中学校。子供の頃住んでいた家。会社員時代に住んでいた公団アパート。家内の実家。娘が住んでいる東京のアパート、など。そして旅行で訪れた様々な土地。

 中でも思いがけず印象的だったのは、会社勤めをしていた時に、工事出張で滞在した現場の画像だった。インドネシアはスマトラ島北部のアチェ州。そこに建設したアンモニア・尿素プラント。地名を頼りに、場所を探す。少しづつ的が絞られ、記憶に結びついた地形が現れる。そして、ついに目的の場所に行き着いた。私が滞在した時は建設中だったプラントも、今では完成して20年になる。プラント全景を俯瞰すると、プロット・プラン(工事図面の一つ、全体平面図)が思い出された。この通路を進み、右に曲がると、私が担当していたガスタービン発電機があるはずだ。そう思ってポイントを定め、さらに拡大すると、その機械はそこにあった。

 辺境と言われる地で、10ケ月に渡って過ごした日々が思い出された。今では経験すべくもない出来事が脳裏に甦り、切ないほど懐かしかった。



ーーー4/29ーーー 新聞に登場

 松本平で発行されている地方紙に、「市民タイムス」というものがある。タブロイド版の日刊新聞で、発行部数は約7万部とのこと。この数字は、タブロイド紙としては、全国的に見ても有り得ないほどの大きさだそうである。

 その市民タイムスに、毎週月曜日の連載で、「創の現場を訪ねて」というコーナーがある。松本近辺の芸術家、工芸家、演劇家など、創造的な仕事をしている人の作業現場を記者が訪ねて、取材した内容を写真入りで記事にするものである。

 その第87回に大竹工房が載った。その回数を見て、松本平にはずいぶん沢山の作家がいるものだと、改めて驚いた。

 掲載される三週間ほど前に取材を受けた。Sさんという女性の記者が、専門に担当している。一人の記者が連続して書いているという点は、評価すべきだと思う。話をしているうちに、モノ作りで暮らしている人に共通する悩みや喜び、というようなものに関する理解が、彼女の中に既に形成されていたのを感じた。

 インタビューは1時間半ほど、それから工房で作業スナップの撮影をした。作品の写真が一枚要るのだが、それは私の方から提供することにした。

 会談は、予想していた以上に、幅広く、また突っ込んだ内容に及んだ。毎回対象となる人は違っていても、似たようなジャンルのテーマである。いつもと同じような記事になってはつまらないから、「これは」という話題を聞き出すことが大切なのだろう。そのために、ちょっとした事をきっかけにして、その人固有の世界に踏み込んで行く、という取材方針を取っているのではないかと思われた。

 取材を受けるうちに、「作家の方は、あまり積極的に喋らない方が多いのですが、大竹さんはいろいろお話して下さるので、助かります」とのコメントがあった。

 楽しみにしていた月曜日が訪れ、朝一番で新聞を取りに行った。自分が載っている記事を読むというのは、これまでも何回か経験があるものの、やはり少し照れる。全体を読み終わったら、ほっとした。

 良く出来た記事だと感じた。読んでいて面白い。思わず引き込まれるところがある。家内は「内容がずいぶん多彩ね」と言い、「今までの記事とは違う雰囲気のようだわ」と、夫の晴れ舞台に満足そうだった。

 このような新聞の企画が、この地のモノ作り文化の支えとなっている事は間違いない。有り難いことだと思う。最近値上げをしたので、一寸ぐらついたが、これからも購読を続けることにしよう。





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